生活保護を取り上げたテレビ番組の放送に関して「池田まきのメッセージ」

掲載日:2017.03.15

生活保護を取り上げたテレビ番組の放送に関して
池田まきのメッセージ
好きか嫌いか言う時間タイトルイメージ
番組名:好きか嫌いか言う時間
放送局:TBSテレビ(TBSテレビ系全国ネット)
放送日時:3月6日(月)21:53〜22:54

「彼らが本音で話すことでリアルな日本の“今“を映し出す。」という番組です。
 本当にリアルな日本の‟今“を映し出していたと思います。

今回は「生活保護」を取り上げるということで、出演のお声かけをいただきました。
よく、公的機関からの依頼でないと受けないとか、学会や研究会などでしか意見は述べないとか、政治関係の政策セミナーは受けないとか、行政から○○委員などの委嘱を受けているから見解を控えるとか、報道番組は良いがバラエティー番組には出ないとか、NHKならいいけど民放は受けないとか、各人によっていろいろな基準や判断があるかと思いますが、私は今回あえて出演することにしました。

国は支え合いとか、支えられる側が支える側へ、など共生社会に向けた政策をすすめているものの、実際の国民の意識はバラバラです。自己責任論が強まる一方の中で、社会保障費(とりわけ生活保護費)の削減に賛成する世論が大勢を占めつつあります。共働きの子育て世帯はひとり親家庭を妬み、将来が不安だらけの若者は今の年金受給者を羨み、年金受給者は生活保護受給者を叩く、という虐めの法則、負のスパイラルが生まれています。

ニュースをどう流すか、報道のあり方も問われます。様々な媒体による様々な「情報」が飛び交う中で、偏見や差別的な被保護者像が国民の中につくり上げられてしまった感があります。公的扶助及び福祉に係る者として、この間、いかに身内だけの議論をしてきたのか。生活保護の業務を行う福祉事務所の態勢や人材育成など、根本的な解決策や対策への提起がなされなかったことを改めて問い直さなければいけないと痛感しています。

最後のセーフティネットである「生活保護」のプロが、どんどん現場からいなくなり、「実態に向き合う&考える&論ずる&当事者のために実践する人」が極めて少なくなってしまったように思います。生活保護は法律と通知通達による運用であるにも関わらず、地方自治体(実施機関)やひどい場合には担当者によって異なるローカルルールが存在し、時には違法行為も行われる、そうした状況を見過ごし、放置するわけにはいきません。

生活保護をはじめ福祉は制度として、国民に広く開かれ理解されることが望まれます。

「公的扶助」「権利擁護」「ソーシャルワーク」「社会福祉」・・・公的扶助の適正な実施のための追究をし続けている者として、そして社会福祉士などの専門職として、本当の権利擁護から考える制度の運用と同時に、「偏見」を生まず「理解」「共感」が得られるような人々の意識・認識・心づくりに、もっと寄与していかねばならないと思います。

地域全体、国民全体の理解にならなければ、このまま社会保障は財源だけを理由に削減され続け、そして憲法にある生きる権利をはじめ、「学びたい」とか「働きたい」とかの夢を追う権利も、「すべての人がかけがえのない存在」という基本的人権もなくなってしまうでしょう。

福祉事務所に携わる現場の職員や福祉の専門職や専門家、研究者や活動家は、誰のための何の活動か……常にそのことを胸に全身全霊で取り組む責任があると思います。(くれぐれも疲れたら、休んでください。)

当事者は、ケースワーカーや支援者に騙されないよう、研究者の材料として利用されないよう、政治家に利用されないよう、行政にごまかされないよう、マスコミに利用されないよう、そんな心配をしなくてはならないことも、とても悲しいことだと思います。

生活保護こそ国家責任です。適正な保護の実施と自立助長のための方策を、国をあげて本気で取り組んで欲しいと切に願い、活動をしています。

さて、今回の番組で私の担当窓口となったプロデューサーさんはとても丁寧に話を聴き学ぼうとしてくれる方でした。現場の実態や課題、制度自体の問題や法の解釈と運用の実態や問題点、その背景なども、事前に何度も時間もかけて話をきいてくださいました。事前のやりとりによって、当初の予定と収録内容も違ってきました。

放映された番組をみて、収録時間に比べほんのわずかなディスカッションであったり、収録時に挙げられていたテーマやVTRもまるごとカットされていたり、収録時にないVTRの事例などもあったり、収録後も収録時におきたことも含め、議論しながら随分と編集や収録などされたと思いました。最初の企画や収録時と実際の放送内容は随分と違っていました。生活保護の実態を知っている方は「ひどい」と思ったと思いますが、最初の企画はとてもひどく、収録時ももっとひどいものでした。最初の企画内容→事前打ち合わせ→収録→協議→放送と、近い将来政治や政策に影響を及ぼすテーマはまるごとカットされていましたし、少しは改善されたと思います。

担当者は番組の編集の権利はないとのことで、これ以上はどうにもならなかったのでしょうが、そういうがんばってくれる人もいるということも知りえたことは希望がもてます。この構図は、福祉事務所や役所の人材の実態と似ていると思います。組織の中で倫理観ある誠意のある仕事が消えないように、そういう人を増やしていきたい。

また、最初の企画から想定されるシナリオとは対局にある考え方や人、用意された素材を否定する可能性の高い下村教授や私に対して声をかけていただいたことにも感謝しています。もちろん数でいえば対等ではありませんでしたが、あの場に誰も呼ばれず完全にシャットアウトされていたら、本当に偏った情報で番組がつくられ視聴者を洗脳することになりますので、これからも頑張って対局にある考えや多様な人物が参加した企画をお願いしたいと思います。

また、私たちも「そもそも偏りがちな番組」と決めつけないで、だったら逆にどんどん出ていく、違うという根拠を示しながら、違った考えを伝えること、何度でも説明し、対話し、情報交換し、議論し、少しずつでも「コチラ側」の常識を広げていくという変化をつくっていくことが必要だと思います。実際に放送はされなくとも、あの空間にいた100名近くの方々が誤った情報だけではなく、ファクトの情報やもう一つの考えを少しでも「情報」として共有することができたと思います。賛同したり否定したりは別として情報を共有してからではないと対等な議論にはならないからです。

今回、バラエティー番組で取り上げられたことで、「生活保護」は専門家でなくても、興味や関心がなくとも、「知られた」ことになります。全国各地の貧困研究者や福祉の専門家の皆さんは、ぜひ、もっと外に出て普段合わない人たちと「常識の違い」を実感し、そこから新たなアプローチで新たな意識づくりを展開してほしいと思います。(今ではもう現場すら、違う常識になっていることを感じます。)

今、「えー、そんなのずるい」と言っている若者も、将来が不安だからずるいと思うのだと思います。すべての人が安心できる社会の仕組みであれば、妬むこともありません。彼ら彼女らがいつ何時、人生で挫折しても、生きる権利も再チャレンジできる道もあるよと、発信してほしいと思います。

今回、放映された部分で、そのままでは困るという点に絞って、このHPにて私の考えや補足のコメントをしたいと思います。コメントはわずかですから「どうして?」「どういうこと?」ご質問やご意見があると思います。前向きな議論や現場人材の活性化、公的扶助追究の一環として、意見交換会やミニ懇話会、研修会や勉強会など、別途、お声かけいただけましたら幸いです。

最後に、放送をみて、私とつながっている方々で「死にたくなった」とか「またつらくなった」など、たくさんお声がありました。他にもいらっしゃるかもしれません。この生きづらさは少しづつまわりの頑張りで変えていきますから、みなさんは悪くない、変わらないで大丈夫です。生きる権利です。

「信じる」ことを恐れないで。今の憲法がある限り、私は、誰ひとりおいてきぼりにしない。

「不安」や「苦しみ」を共有し、「安心」と「笑顔」に変えていきましょう。

【放送された順番に】
  1. 「もらえる」という表現

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    →もらいたくて受給している人はいません。

  2. 教育扶助「全部タダ!」という表現

    →生活保護家庭の児童・生徒に向き合ってきましたが、現在の子どもたちが、等しく学び、等しく社会経験しながら、自律した大人に育つまでの環境にはありません。子どもの育ちや学びに最低限必要なものや価値観も時代とともに変化していますが、制度がついてきていません。学校で必要なものがないために不登校になる子どもがいることも事実です。

  3. 「生活保護に詳しい淑徳大学教授」という方がVTRで説明していた医者の診断書について「医者の診断書を請求して診断すればもらえたりする」とのコメント。

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    →こんなことはありません。

    まず「診断書」自体、保護の申請に必要ありません。

    診断書は実費払いになりますから、お金がなくて困っている人が診断書を請求するようなことにならないようにここで否定をしたいと思います。また、診断書があっても、診断書=(イコール)保護の要否ではありません。

    福祉事務所が稼働能力を判定するために医師の意見を聞く場合などには、「検診命令書」があり、これはあくまでも福祉事務所から出すものです。命令もされずに被保護者や要保護者が医師に直接お願いするということはトラブルのもとになります。

    また、保護申請時の稼働能力活用要件として福祉事務所が検診命令書をだし「稼働可」の診断書により保護を却下したことによる新宿訴訟では、東京地裁判決(2011.11.8.)申請却下処分取り消し、開始を義務付け、控訴審の東京高裁判決(2012.7.18.)でも判断維持されています。

  4. 「生活保護受給日を給料日と呼ぶふとどきものがいる」

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    →生活指導や保護の目的の支援不足の証ではないでしょうか。

    ふとどきものと呼ぶ前に当事者にむきあい、寄り添い、問題や課題解決への支援をすべきです。

    また、これは福祉事務所(保護課)への異動を「ちょうえき〇年」と口にする職員と類似します。

    いかに、福祉事務所の現業員及び査察指導員の質が低下しているか、こちらを問題とし、人材育成という課題に焦点をあてるべきです。

  5. 「一人ずつ受給させて役所内で現金を団体が回収、本人には微々たるお金を与え狭い部屋に詰め込む貧困ビジネス」

    「不正受給をなくすためには、現物給付」

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    →なぜ、摘発できないか。

    人権侵害されている通報や本人からのSOSがあったにも関わらず、決定している福祉事務所が被保護者の実態が把握しようとしなかったり、権利擁護の知識がなかったり、事業者が適正化どうかのチェック機能や助言指導が物理的にも能力的にもできない状態にある。「居宅になると大変だから見てもらっている方がよい」などという福祉事務所側の誤った意識も一つの要因。

    また、現物給付は、個別に抱える課題や状況により良し悪しが問われます。現金が1円もないことにより、日常生活自立・社会生活自立・就労自立への道が確実に遠のいたり、場合によっては脅迫や虐待をうけているにもかかわらずそこから逃げることができない状況を生みだすことにもなります。

    生活保護に限らず、生活困窮者のシェルターや、高齢者や障がい者などの入居施設による金銭管理においても同じ状態に陥る可能性があり、とても問題であると思っています。(現に私も複数の事例がある)
    働く側の効率性や採算性、自治体や業者の経費や支出の抑制という目先の効果を追うのではなく、真に当事者の権利擁護と、保護の目的である憲法第25条の最低生活の保障とそして自立の助長に取り組んでいればこういう事態は発生しないでしょう。

  6. 「不正受給」の実態の例として「3世代受給」の例があげられた

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    →「不正ではありません」

    3世代にわたって自立できない制度が問題。

    宇都宮健児さんから「祖父祖母が貧困であれば父母も貧困で孫の世代も貧困」という説明がありましたが、この決めつけた見解も私はよしとしていません。福祉事務所時代に研究者がケース記録から有子世帯調査を行い貧困の世代の連鎖をうらづけるようなことがありました。

    しかし、そもそもケース記録や調査自体が記述のない不明なものも多い中、学歴や収入や職業などだけで判断されるような調査の仕方にとても違和感がありました。結果、何を解決したのか?研究成果は、スティグマを強めるだけで、抜け道までも閉ざした現状になっている。働くのも、学ぶのも、育つのも、経験するのも、未だに解決の進歩にも繋がっておらず、「連鎖をさせない」という本気の貧困対策を考えるべきです。

  7. 若い人の不正受給「貰うなら貰うぜ受給」「一度貰ったら廃止できない」

    →今の日本は出口がないことを問題に。

    受給者をバッシングし、単純に打ち切ることをしても、自立にはつながらない。まずは学歴社会の中で入口で狭められています。就労支援と同時に必要なのは働き続けることができる技能や知識を身に着けること、教育を受けたり技能習得の期間は必要です。就労後のフォローアップも重要です。

    多くの生活保護受給者はブランクがあることで就職の入口が閉ざされています。

    保証人がいないとか、携帯電話がないとか、生活保護をうけていることで門前払いもあります。

    雇用の出口づくりは企業者や事業者任せでは実現しません。雇用の出口づくりは国をあげて政府が取り組むべき政策です。さらに生活保護や生活困窮者ではない方々の雇用を促進することが必要です。

    地方ではどの業界も人材不足、にもかかわらず働きたい人が職につけないミスマッチ現象にどう向き合うかが大切ではないでしょうか。

    このまま単価を下げ、生活困窮者の就労支援から外国人労働者(技能実習生だけではなく)に移行していった場合、本来働ける力も芽もある国民が自己責任論で切り捨てられ、働けない状況が生まれる危険性があります。

  8. 「不正受給を取り締まるには、ケースワーカーを増やす」

    →取り締まるという感覚を捨てること。適正に支給できるようにすることが大前提。

    今はこの意識が低すぎる。

    下村教授も「不正受給」ではなく「不正支給」と言っており、私も現役の時から同じことを指摘していた。現状のまま、ケースワーカーを1人2人増やしても問題は解決しません。

    定数の見直し、業務分掌の見直し、専門性の高いケースワークができる体制の整備、大学や技能習得、生業扶助など新たな自立支援制度の創設など、改善策は必ずあります。

    自治体・実施機関任せということに問題があり、国も片目をつぶったり、指摘や指導だけの監査ではなく、真に実施できるよう取り組むべきと考えます。

【これも問題!】

表記が「窓口」となっている事!!

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「ケースワーカー」という名称が社会では認知されていない事実、「福祉」は何をしていたかと思います。

現業員ですよ。生活保護は窓口ではなく現場主義。

現地に訪問し、寄り添い、必要な同行支援、生活支援等を行うのがケースワーカーです!

【テーマごとのコメント】
1. 不正受給に関するファクト、実施機関の抱える課題
(1) 不正受給について

まず、宇都宮さんも発言されていましたが、不正受給は金額ベースで0.5%、世帯ベースで2.3%であるということ。しかし、この数字が小さいか大きいかの議論では、国民の理解は得られないでしょうし、私も不正受給はよしとはしません。

着眼点は、次の数字です。

不正受給に関する資料画像
  1. 稼働収入の無申告50.1%、過小申告10.1% = 60.2%
  2. 各種年金等の無申告 = 28.1%
  3. 発見の機会 = 課税突合調査 9割

課税突合の発見が9割ということは、日常の業務の中で、生活状況の把握、制度の説明や申告のフォローなどができていないということです。年金は事前にわかりますし、交通事故なども把握できます。これは「不正支給」状態です。また、煩雑な事務による事務遅滞、事務懈怠による濫給や漏給などの「不適正処理」は全国的に存在し課題であるものの、自治体(実施機関)のみでは対策ができずに不適正処理が蔓延化するなど放置されています。ケースワーカーの病欠の要因でもあります。

(2)「不正受給」は「不正支給」ではないのか。

問題なのは、この「不正受給」と言われているものの精査がされていないことです。

不正受給かというところですが、生活保護法第78条では、

  1. 不正受給かどうかという点できちんとした調査をしていない
  2. 申告がないという点でいきなり不正としている点に問題ある

宮城県知事裁決、横浜地裁判決ではいずれも高校生のアルバイト、これを取り消したものです。これら類似する処分取消し審査請求、訴訟、審査請求ないし訴状の提出で処分を職権で取り消す例は多数あります。

よく把握し、説明していれば、高校生のアルバイトは収入申告(控除あり)や年金等も生活保護法第63条の扱いで済むものが大多数に思います。

(3)どうして不正支給が行われるのか 福祉事務所の状況 専門性とあり方

そして、次に実施機関の説明責任です。

出展)厚生労働省「平成21年 福祉事務所現況調査の概要」

福祉事務所現況調査の概要画像1 福祉事務所現況調査の概要画像2

適正な業務ができる状態にないということが問題です。

多くの被保護者や要保護者は生活保護の届け出などのルールを知りません。

それを説明する側のケースワーカーも素人が多い実態であるということです。専門性が問われる業務でありながら、このことは長年放置され続けています。

どういう時にどのように申告が必要なのか、その申告の際に収入認定がどうなるのか、「減らされる」などという誤解を抱いている場合もあります。控除についても事前に説明が必要です。

稼働収入にせよ、年金等の収入にせよ、事前に丁寧な説明が必要です。そして、それを実行するための体制が整備されなければこの問題は解決への一歩になりません。

※補足

私が2014に公共政策のリサーチペーパーで、福祉事務所にアンケートを実施した結果の中に、「保護の開始の時以外に支給額の内訳や変更の詳細を説明しているか」の問いに、「していない」が44.2%、「年に1~2回している」が34.4%でした。

保護開始時はとても様々な問題を抱え混乱期にあります。その状況をみながら世帯への必要な説明を何度も個別の方法で説明したり、手続きするために直接同行支援したりしながら行うことが多いです。

収入申告の結果、通知書には詳細が書かれていないので、被保護者は理解できませんから、計算式や内訳書を手書きにして理解できるよう説明もしたりしました。

その上で不正かどうか、意志確認も必要です。その「義務」を知っていたかという点です。

アンケートのもう一つの項目で「保護の権利・義務を開始時以外にしているか」の問いに、「していないが」44.8%でした。

補助金による一部の自治体の調査や大学の科研費をあてにしての大学主導の一部の調査ではなく、国が全国福祉事務所へ行う概況調査に加えて、体制や運用実態など詳細な「実態調査」を行わなければ実態とかけ離れた方針ばかりとなり改善になりません。

(4)これから、どうしたらよいか。

まず、生活保護は真に憲法と法律と指導要領が適切に運用できるよう、構造的な原因を明らかにすること、当事者をはじめ、ケースワーカーや福祉事務所全体の業務実態の把握と検証、あり方について、今までのレベルではなく政府をあげて取り組むことが急務と考えます。

生活保護は、生存権を守る最後のセーフティネットとしてかけがえのない制度です。自立への出口もままならない中、今では入口までの閉ざされた状況にあります。

不正不正と、ことさら言い立てて、大多数の受給者の自尊心、あるいは基準額以下で何とか生活している人の申請を心理的に抑制している結果になってしまいます。

生活保護へのスティグマを強調することが、不正受給抑制につながりません。

バッシングしたり、スティグマの毒を吐いたりしても、孤立させ、事は悪化するだけです。

自尊感情を大事にして自分を律する自律へ寄り添うこと、そして、出口づくりの環境整備に力を入れていくことが、この国の底上げ、自立助長につながると思います。

2. 小田原のジャンパー事件について
(1) 福祉事務所は被害者か。

番組のコメントで「大変な職場」という被害者意識こそ問題です。

この事務所の例ではありませんが、福祉事務所でおきる多くの事件はたいていその対応にも問題があります。「それは怒るでしょう」という対応をしていることがほとんどです。

クライアントは最後の砦として震えながらドキドキしながら福祉事務所にやっとの思いでたどり着くのです。

DVから逃げてきた人、自殺や借金か犯罪行為をするか、究極の選択に差し迫って自暴自棄の寸前で藁をもすがる思いで来所や電話をかけてくるクライアントを受け止めるというインテークの専門的技術はもっとも重要ですが、それ以前に取り調べのような態度や警察OBをおいてまるで犯罪者のような扱いもあります。

ケースワーカーや面接員が蔑視していると、クライアントは心を開くどころか拒絶します。

同じ事務所内で面接室から聞こえてくる声をきき「その対応はひどいなー」と思っていると、机や壁を叩いたり蹴ったりする音が聞こえたり、泣き叫ぶ声が聞こえたり、ということになります。

よく困難ケースということがありますが、そういう場合はたいていが困難ワーカーであることが多いです。周囲が気づき、危ないと思ったら、サポートに入るなど、チームで支援することが重要です。おせっかい事務所は、うまくまわります。

でも、そういう一時のベテラン任せや自治体任せにしていることが、生存権の保障を蔑ろにしてしまうわけです。ケースワーカーの自尊心のために、業務のうっぷんの矛先を被保護者や要保護者にむけるということは人権侵害であり、許されることではありません。

そもそもやりたくない人がいい仕事などできないわけですから、人事の問題は国と実施機関と人事交流やサポート体制、新たな採用基準を設けるなど、根本から法の目的を果たす機関づくりが必要です。

(2)総合相談のアウトソーシングは「行政」の責任放棄。決定権や責任が伴うことが多い。

さらに大きな問題なのは「総合相談」を実施できている福祉事務所がいくつあるか?

法定受託事務と自治事務の問題、包括的補助金、財源の問題……総合相談を的確に自治体が行えるように国を挙げて取り組まなければ、この先、悲劇は繰り返します。

実際に、何をどうしたらよいかわかない状態で来所する市民が、あらゆる制度を熟知して、「今、国保年金減免して、手当申請して、法テラスにいって、母子の貸付金受けて、不足分の1万円の保護を申請します」などという人はいないわけで、札幌で起きた白石姉妹孤立死も、千葉県銚子市でおきた母子家庭の「銚子愛娘殺人事件」も、どこにもつながっていないのではなく、行政になんらかの形で繋がっていたし、窓口にも訪れていたわけなんです。総合相談において、生活を察知したり、その背景にある問題を想像したり、何ができるか他機関の制度(他法他施策の補足性の原理)が活用できないかと、問合せや調整をしたり、地区担当員がまずは実態調査訪問をしたり、ということがないことが共通しています。

他の制度を活用すれば問題が解決したり、深刻化せずにすむかもしれないし、あるいは、訪問すれば生活は問題や実態は一目瞭然です。

福祉事務所は保護を決定した被保護者の訪問だけではなく、「要保護者」の実態を把握し、相談支援や助言を行う責任があります。

さらにいえば、急迫した状況による職権保護ができるのは、行政のみです。※この場合の職権は「速やかに保護を開始しなければならない」と「義務的」です。(生活保護法第7条、25条1項)

3. 3世代で受けているということに関連して 子どもの貧困
(1) 生活保護の教育

生活保護世帯の子どもは高校進学もつい最近(平成17年度)になってようやく認められました。子どもの貧困、いわゆる貧困の世帯の連鎖が生み出されてきたということです。

教育扶助創設時(1950年)の高校進学率 42.5%

福岡市学資保険訴訟提訴当時(1991年) 95.4%

福岡市学資保険訴訟最高裁判決2004年(平成16年3月16日)と社会保障審議会福祉部会生活保護の在り方に関する専門委員会の報告書2004年(平成16年12月15日)、→2005(平成17)年度 生活保護における高校就学費が生業扶助として創設された。

※14年間、貧困は生み出されていた。連鎖するのではなく、連鎖させられていたということではないでしょうか。

しかし、これでも課題は多いです。アルバイトを行えば収入認定になります(控除できるが処理が適切に行われないことが多い)。

民主党政権になり「すべてのこども」に高校授業料が無償化となりましたが、現政権は限定し、政策は逆行しています。しかし、今の流れにのって(選挙対策でしょうか)給付型奨学金創設をうたっていますが、基準や規模としては、貧困対策とはいえないものです。

(2)学習支援以前に必要な教育の環境整備、育ちの保障

さらにいえば、生活保護家庭や就学援助を受けている子どもたちは、なんらかの家庭の問題を抱えています。お母さんに障がいがあったり、病気だったり、お父さんがDVだったり、認知症のおばあちゃんとの暮らしだったり……。

不登校で学校とも繋がっていない、生活保護を受けていてもケースワーカーは世帯主とのやりとりだけで子どもとは繋がっていないなど、子どもが相談する場所も、子どもの育つ環境をみてくれる人もいないことが多いです。

実際に訪問すると、はけるうわばきがなかったり、制服は小さくて着れなくなっていたりとか、教材の準備ができなかったり、ゆっくりと手紙を読んだり宿題を見守ったりすることが困難な養育者であることがあります。学習支援のみならず、生活保護や困窮家庭においてはそれ以前に勉強できる環境づくりやサポートが必要です。

また、今はICT教育の推進が図られていますが、タブレットをはじめ、ICT勉強機材が自宅にあるか、ネットを使用している人がいるか、日常からの情報や知識や経験が大きな格差を招いています。教育を受けられる環境へのソフト面の支援がとても必要です。

また、生活保護や生活困窮者、低所得者家庭の子どもたちは社会経験、社会体験も当然乏しいです。生きる力や社会人となった時の仕事での応用力や人間力などに繋がる社会経験は、地域でも社会教育という場面で貢献できるのではないでしょうか。偏見差別を捨てて、地域にいるすべての子どもを対象に、子どもたちを受け入れてほしいと思います。

(3)未来への投資をすべての子どもに

「福祉」という枠ではなく、「教育」政策、次世代の人材育成としてみる。

  • 今の日本、年収400万円以下の世帯では大学進学率は3割
  • 子ども6人に1人が貧困状態(北海道は5人に1人)
  • ひとり親世帯は半分が貧困状態
  • 非正規雇用が4割を超える
  • 結婚率は半分
  • 大学生の2人に1人は奨学金
    ※返済が困難になり自己破産や生活困窮者になることも多い(実例多い)

→公正な分配、格差を無くし、人への投資へ。

〇すべての子どもに教育の保障を。

大学、専門学校、技術訓練、学び直しまで。地方には大学もない。農業や漁業や地元の産業の後を継いで、しばらくしてから社会人枠の高等教育を受けることも、将来のプロフェッショナル人材育成である。

自立の助長として生活保護世帯や児童養護施設等出身者においても保障すべきと考える。

すべての子どもに、すべての人に。